高校野球 夏の甲子園

 

 

夏の甲子園が終わりましたね。

暑くて熱い高校球児たちの青春。

別に感慨にふけっているわけではないのです。

口は悪いですが、今年もハードなスポ根ものをやったんだなといった感想です。

熱中症で倒れてもおかしくない中で・・・、時代錯誤な丸坊主で・・・、

 ドームのようないい環境の中で格好よくやっちゃいけないのでしょうかね。

高校球児たる者、ギラギラした太陽の下で汗と泥にまみれて頑張れやって?

 

もし私にも息子がいて野球をやっていたら受け止め方はまた違っていたのかもしれませんが、いないので思うままを言わせてもらうと、いったい日本はいつまでこんな根性論丸出しの野球を子供たちに信じ込ませ続けるつもりなのでしょうね。

幼いころから根性野球を叩き込まれて、これじゃまるで一種の宗教みたいなものです。

もしや「巨人の星」の頃とたいして何も変わってないのではなかろうかといぶかってしまいます。

 

肩を壊してでも投げ切り「わが青春に悔いなしッ!」とむせび泣く球児を量産するシステム、本当にどうにかならないのでしょうか。

 もし監督が球児の将来をおもんばかり降板させようものなら、球児からは「最後まで投げたかった」と恨み節の一つも聞かされ、アホな大人たちからは「なぜ最後まで投げさせてやらなかったのだ」と責められる。

「最後まで悔いの残らないよう投げ切って来いっ!」とはっぱをかける監督が好かれるようでは断じていけないのです。

 

まあ本人たちがそれで満足しているのであれば私がどうこういう事もないと思うのですが、問題はこれにとどまらないという点なのです。

この根性論を携えた人たちがいわゆる「体育会系」という種族で、社会に出てからも幅を利かせてしまう傾向が大きいんですよね。

 身に付けた根性論が本人の精進のみに生かされるなら何ら問題はありませんが、厄介なのは人間という生き物が自分にできることは人にもさせたくなるというところです。

その人たちがゆくゆく出世をしようものなら部下はたまったものではありません。根性論で仕事をさせられるなんていい迷惑です。

 

つまり私の言いたいことをまとめると、高校野球のあり方を変えないと日本の社会も変わらないということです。

ざっくり過ぎの短絡過ぎの言いがかりまがいですが、当たらずとも遠からずだと私は思うのですよ。