【重複】の読み方「ちょうふく」と「じゅうふく」

 

最近少し悩んでいること。

それは漢字の読み方についてです。

中でも最も私の精神的負担になっているのがタイトルにある【重複】です。精神的負担だなんて大げさなと思うかもしれませんが、子供の頃から「これはちょうふくと読みます。じゅうふくは間違いですよ」と先生方からこれでもかと教え込まれた世代なので、近頃主流となりつつある「じゅうふく」に対して抵抗感が半端なくて。

 

仕事をしていると重複データについて話をする機会がよくあるのですが、私の周りの人は皆が皆「じゅうふく」と言うのです。そうなると正しい読みとして習ってきた「ちょうふく」が逆に間違っているような印象が強い。

でもこれも時代の流れの一つと思う私は周囲に合わせて「じゅうふく」と言う様にはしているのですが、毎回敗北感に苛まれます。

大袈裟に言うと、「じゅうふく」という言葉がいったんのどの奥で葛藤し逡巡した後、なんとか声になって出てくるという感じですw 

だから私はいつも出来るだけ「重複」という言葉を避けて会話を進めようと試みるのですが、そうもいかない時が多くて困ります。

 

まあこうしてじゅうふくに苦しめられている私ではありますが、実は言葉が年月の流れの中でどんどん変化していくことに対して、自分で言うのもなんですがとても寛容です。

「延々と」を「永遠と」と言ったり、「やむを得ない」を「やむ終えない」と言ったり、「うろ覚え」を「うる覚え」と言ったり・・・・・・

こういうのはもしかしたら今後このまま定着するかもしれませんが、別に構わないと思っています。だって私たちが今正しいとして使っている言葉も相当の変遷を重ねてきているはずで、昔とは読み方も漢字もさらには意味まで変わってしまったものも多いと聞きますからね。

ことわざや慣用句なんかもそうです。

すぐに頭に浮かぶのは「気の置けない」かな。これはもともと「気を使わない」という意味ですが、逆に「気を使う」という意味に変わってきていますよね。私もどちらかというと後者の方がすんなり頭の中で理解出来る感じがします。

大多数の人が本来は間違っている方を正しいと思うようになれば、おのずと誤が正に取って代わろうというものです。

 

おそらく「ちょうふく」と「じゅうふく」はそのせめぎ合いの真っただ中なのか、あるいはもう決着は付いているかもしれません。

「ちょうふく」と言うのは年寄だけってなりそうですね。

 

最後にごく最近耳にした、気になる間違った読み方を4つほど。

 進捗/しんぽ 雰囲気/ふいんき 樹木/じゅき 文言/もんげん 

うーん、これは簡単には正の座を譲れない。

 

 

 

高校野球 夏の甲子園

 

 

夏の甲子園が終わりましたね。

暑くて熱い高校球児たちの青春。

別に感慨にふけっているわけではないのです。

口は悪いですが、今年もハードなスポ根ものをやったんだなといった感想です。

熱中症で倒れてもおかしくない中で・・・、時代錯誤な丸坊主で・・・、

 ドームのようないい環境の中で格好よくやっちゃいけないのでしょうかね。

高校球児たる者、ギラギラした太陽の下で汗と泥にまみれて頑張れやって?

 

もし私にも息子がいて野球をやっていたら受け止め方はまた違っていたのかもしれませんが、いないので思うままを言わせてもらうと、いったい日本はいつまでこんな根性論丸出しの野球を子供たちに信じ込ませ続けるつもりなのでしょうね。

幼いころから根性野球を叩き込まれて、これじゃまるで一種の宗教みたいなものです。

もしや「巨人の星」の頃とたいして何も変わってないのではなかろうかといぶかってしまいます。

 

肩を壊してでも投げ切り「わが青春に悔いなしッ!」とむせび泣く球児を量産するシステム、本当にどうにかならないのでしょうか。

 もし監督が球児の将来をおもんばかり降板させようものなら、球児からは「最後まで投げたかった」と恨み節の一つも聞かされ、アホな大人たちからは「なぜ最後まで投げさせてやらなかったのだ」と責められる。

「最後まで悔いの残らないよう投げ切って来いっ!」とはっぱをかける監督が好かれるようでは断じていけないのです。

 

まあ本人たちがそれで満足しているのであれば私がどうこういう事もないと思うのですが、問題はこれにとどまらないという点なのです。

この根性論を携えた人たちがいわゆる「体育会系」という種族で、社会に出てからも幅を利かせてしまう傾向が大きいんですよね。

 身に付けた根性論が本人の精進のみに生かされるなら何ら問題はありませんが、厄介なのは人間という生き物が自分にできることは人にもさせたくなるというところです。

その人たちがゆくゆく出世をしようものなら部下はたまったものではありません。根性論で仕事をさせられるなんていい迷惑です。

 

つまり私の言いたいことをまとめると、高校野球のあり方を変えないと日本の社会も変わらないということです。

ざっくり過ぎの短絡過ぎの言いがかりまがいですが、当たらずとも遠からずだと私は思うのですよ。

 

 

さてと、自己紹介がてら初回発信です。

 

 

初めまして。

私はもうすぐ58歳になる女性です。

夫を十数年前に亡くし、一人娘も独り暮らしをしているので、限りなく自由気ままな一人暮らしを送っています。

仕事は事務をやっていますが、エクセルを編集するのが好きなのでそこらへんにエクセルで管理できるネタは落ちていないかといつも探しています。

 

えーと、年齢については本当は明らかにしたくはないのですが、過去にアメブロをやっていた折、年齢を隠していたがためについ自分でも若ぶろうという狡い考えにとらわれてしまい、その結果正直な思いや実態を吐露できなかったという窮屈な出来事を深く反省し、この度は潔くさっさと年齢を宣言した次第です。

が、しかし、58歳をもうおばあさんのように思うことなかれです。いやまだ57歳ですけどね。その年代の芸能人、松田聖子松本伊代や今井美紀が年寄に見えますかということですよ。見えませんよね。実に若々しい。

ということで、そのあたりのビジュアルでもって私の文章を読んでいただければこれ幸いといったところです。

 

これからどんどんブログを書くぞという強い気負いはないのですが、「これは言いたい」とか「これは言っておかねば」という衝動に駆られた時に書き綴っていきたいなと思っています。